6月下旬になりました。
外壁の下地に手間取ってなかなか室内の造作に手が入りません。通気層をつくるのに難渋しているようです。縦の胴縁をつけて空気が淀みなく流れる細工をしてから、屋外からの雨水滲入をふせぎ、室内の湿気を逃がす防水透湿シートを貼ります。その外側にもう一度胴縁を取りつけて下部は腰板。上部は木ズリに下地ラスを貼ってから壁下地のモルタルを塗ります。
外壁の底部には給気口としてパンチングメタルを廻し、ここから入った空気が外壁内の通気層を垂直にあがり、屋根瓦の下を斜めに上昇して一番上の棟で抜ける仕掛け。外壁だけで通常の2倍くらい手間がかかる仕事。
ある日、大工の今井さんが折角きれいに伏せた瓦を剥がしにかかりました。
「今井さん何してるの?」
「いやー、どうも気に入らんのですわ、こういう工事はわたしもはじめてで、どうしたものかと。これでは空気がうまく抜けんと思います」
設計の段階では、外壁と屋根の交点でどのように通気層を確保するのか、方法まで決まっていませんでした。いちばん厄介な部分で、普通こういう見えないところは適当にお茶をにごしても絶対にバレません。空気の流れが多少阻害されるだけで、夏の放熱効果に影響が出るとはいえ、家の基本性能が損なわれるわけでもなく、なにも瓦まで剥がしてやり直すほどのことはないのですが、放っておけないのは白川大工のプライド、職人の性でしょうか。
腕組みをしてしばらく考えていましたが、そのうち夕方になり帰ってしまいました。
今井さんは長身痩躯、あご髭を生やし、金のネックレスをしたダンディな匠です。身のこなし軽く素早く、若手の牧野さんを指示しててきぱきと仕事を進めます。欠点は女性にもてすぎることでしょうか。
それから2週間後、やっと室内の造作に手が移りました。
「結局あれはどうなったのですか」
「まあ、完成したらわかりますよ。通気層に煙を通して実験してみたいですね。それにしてもこんな涼しい屋根下は初めて」
次にサッシがはいりました。「エピソード」という、断熱サッシに12ミリの空気層を持ったペアガラス。住宅は屋根、壁、床下の断熱も重要ですが、開口部もキチンとしないとザルに水。夏は熱射が入り、冬は熱が逃げてしまいます。熱のコントロールは、快適性やエネルギーコストもさることながら、エコロジーの視点で重視したい。銘木や豪華設備に替えて基本性能の確保に予算を配分したいものです。
季節はもう盛夏。8月10日午後2時、晴天の外気温は日陰で33℃、日なたで38℃、瓦の上は61℃。ところが屋内は28℃!
ほとんどミステリーです。
板頭社長が様子を見にやってきて涼しさにびっくり。
「エアコン要りませんねえ」
「なしで充分でしょう、もしどうしても必要になったらあとでも付けられますし」
里山の小さな家はエアコン無し!に決まりました。
内装下地は厚さ12ミリの石膏ボードです。下地なので当然胴縁に釘打ちと思いこんでいたのですが、なんと溝を切った板材を上と下で横に流し、その溝に石膏ボードを差し込んでいくのです。
完成すればすべて隠れてしまう部分になんという手間をかけるのか。
「こんなやりかたは初めて見るのですが」
「これは愛和のおさまりです。壁の仕上がりは下地で決まります。下地をキッチリ決めておけば壁が剥がれたり、ヒビが入る心配はすくない。でも失敗も多いですわ」
「だれも見ないでしょう、建て主だって見る人はまずいない」
「見えてしまいます。下地の良し悪しは必ず仕上がりにでてきます。」
これが飛騨の匠の系譜を汲む白川大工、今井さん。
よい匠は機嫌の良し悪しや、建築主の好き嫌いで仕事のレベルを変えません。眼はいつも自分の技に向けられている。気難しい顔をしている時は、技が気に入らないだけで、建て主に対して怒っているのではありませんから気遣いは無用です。こういう匠に当たった人はとても幸運です。いまでもこんな大工さんがいるのです。
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